香取市小見川は千葉県北東部、利根川に合流する黒部川の河口に発達した町。 江戸はじめは小見川藩領、元和5年(1619)から佐倉藩領、寛永12年(1635)から三浦氏領、寛永16年(1639)幕府領を経て、同年鹿沼藩領、享保9年(1719)からは小見川藩領。 村高は「元禄郷帳」300石余、「天保郷帳」1,089石余、「旧高旧領」1,168石余。 「家忠日記」の天正20年2月24日条では小見川と表記されていて、舟運の拠点で、江戸との往来を行っているが、同日記の天正20年2月27日条に「小見川宿」と見え、交通の要衝、利根川水運の港町として栄えていた様子が見える。文禄2年11月29日条に「小見川町火事出来候」と見え、当時すでに舟運を背景にして、銚子道沿いと黒部川両岸に早くから商店や旅籠などが建ち並んでいたとされる。 承応3年(1654)利根川東遷後に銚子と江戸とを直結する内川回りの成立をみると、小見川はその中継河港として、また周辺の村々の年貢米津出し場としても益々栄えた。 享保15年(1730)改めの惣町家数は539軒とある。 市は2・7の日の六斎市であった。「利根川図志」には小見川の陣屋が見える。黒部川右岸の中橋と新田橋の間に敷地があり、大手門・鉄砲場・矢場・門番所・門前馬場などの施設が置かれていて、現在の小見川中央小学校の敷地である。 舟運の小見川河岸場では、享保5年(1720)川船奉行改めの小見川船は49艘で、うち高瀬船21・平田船13・猪牙船15で、村高に船高50石として含まれ年貢を納めてきたという。 今、伝統的な様式で建てられた家屋は、黒部川河口部の両岸に沿って見られる。連続して伝統的な家が並んでいる訳でないが、寄棟・切妻・平入・妻入り・平屋・中2階建て・2階建ての建物が点在していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 日本の地名 千葉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1996年 |
小見川の町並 |
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