市原市牛久は房総半島のほぼ中央部、養老川の中流域右岸に位置する。 文禄3年(1594)の上総国村高帳に村名が見え、高187石余で幕末まで変わらない。寛政5年(1793)の上総国村高帳では家数198、旗本水野氏領でそのまま幕末まで変わらない。 養老川の河岸場で、長南(現長南町)と木更津を結ぶ往還と大多喜道が交差する交通の要衝で、寛文期(1661〜73)には物資の集散地として町場化していたとされている。寛文2年(1662)の古絵図には牛久町とみえ、「房総志料」には上丁・下丁とあり、町場は間口3間余を一口として整然と区割りされていたというが、その成立は不明。享保8年(1723)当時六斎市があった。 古い町並が小湊鉄道の上総牛久駅近くにあるとのことで訪ねたが、目ぼしい町並が見当たらない。 古い様式で建てられた建物が所々に点在している程度だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 日本の地名 千葉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1996年 |
牛久の町並 |
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