いすみ市深堀は房総半島東部海岸のほぼ中央部、塩田川河口の平坦部に位置する。 江戸中期に内野村が、深堀村・若山村・新田村に分村して成立した。 「上総国村高帳」「旧高旧領」では旗本阿部氏領。村高は「天保郷帳」「旧高旧領」ともに410石余。 享保12年(1727)の家数121・人数668。寛政5年(1793)の「上総国村高帳」では内野郷深堀村とみえ家数139。享和元年(1801)の家数135とある。 深堀は平成17年までは大原町深堀であった。大原町の八幡岬以北は砂浜海岸、以南は断層崖の岩石海岸で、沖合は岩礁が発達していて、漁業に適した海岸であり、南部や西部の山地は良質の米を産した。古い時代から村が開け江戸期には房総街道沿いに農産物と水産物などを交換する市場町が起り、町場が形成された。 江戸末期には塩田浜で製塩を行う塩百姓がおり、冬季は砂浜の使用権を地曳網に貸与して代償を得ていた模様。明治24年の家数137・人数856、船27とある。 明治32年房総鉄道が大原まで延長され、東京方面よりの来往者が増加し、有名人の別荘地としてや海水浴場開設とともに避暑客の増加で大正期から昭和初期にかけて大変賑わった。 深堀やその北の日在などの海岸地帯の集落には「ヤブ椿」の群生がみられ「ツバキの里」と呼ばれている。敷地を取り囲むのは「槇の生垣」だが、その内側にはヤブ椿が生繁っている。房総半島の太平洋側には槇の生垣集落が多くあるが、ヤブ椿の群生やヤブ椿が多く見られるのは他にあるのだろうか。 そう云えば四国の足摺岬・室戸岬、紀伊半島の潮岬でも多くのヤブ椿が繁茂している。海岸に近く黒潮の影響がある地域と云う点では共通しています。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 日本の地名 千葉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1996年 |
深堀の生垣集落 |
深堀の生垣集落 |
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