伊勢原市大山は丹沢山地の南東麓に位置する。古くから信仰を集めた大山の中心集落で、江戸期には坂本村が正式名称だったが、大山道の坂下にあることから大山町とも呼ばれていた。 寛永10年(1633)・元禄10年(1697)大山寺別当八大坊領、幕末には阿夫利神社(旧大山寺)領。村高は「元禄郷帳」72石余、「天保郷帳」100石、「旧高旧領」では大山町とみえ同高。 慶長10年(1605)徳川家康の山岳行場に対する一大刷新の命により、山中に住む修験者たちは山を下りた。こられの修験者(僧・神職)たちは御師となり下の大山(今の門前町)や蓑毛(現秦野市)に定住し、各地に大山信仰を宣伝し信仰圏の拡大を図って大山登拝の大山講を組織した。 御師は江戸時代後期には、大山山麓と蓑毛村居住の者を合わせて166軒。明治初期には120軒余り、明治後期には81軒と激減し、昭和57年頃には54軒となっている。御師は明治時代以降は先導師と称して阿夫利神社の神職を兼ね、宗教活動を行いつつ旅館業も営んでいる。 御師と檀家との関係は密接で、御師は暮れ・正月・春などに檀家の講を廻り祈祷をし、神札を配り、初穂の献納を受けた。檀家の講員が大山参拝に訪れると、御師の家に泊め、登拝の世話・案内や神楽奉納の取次をした。3〜4名が代参で登拝することが多かったが、何年かに一回は全員で登拝する講もあった。 「新編相模」によると坂本村は家数311軒のうち大山寺師職149軒とあり、大山川沿いの往来の両側に家が建ち並び、大山参詣の表街道にあたり、門前町の性格をもっていた。 今も、大山寺への参詣道にそって、先導師○○旅館との看板を掲げた伝統的な様式で建てられた古めかしい家屋の旅館が建ち並び、門前町の様相を昔のまま残しているようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 神奈川の地名 平凡社 下中邦彦 1984年 |
大山の町並 |
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