本庄市児玉町は埼玉県北西部、小山川(身馴川)が形成した扇状地に立地した谷口集落である。 児玉町は「田園簿」「元禄郷帳」「天保郷帳」には児玉村と見え、「新編武蔵」「旧高旧領」には児玉町と見える。 領主関係は領地を細分化され、旗本五家の知行と幕府領とを繰り返し複雑を極めた。 村高は「田園簿」「1,353石余、「元禄郷帳」1,293石余、文政10年(1827)の「組合村石高連印帳」では1,275石余、「天保郷帳」1,281石余。明和4年(1767)の村明細帳では家数183、「風土記稿」では300、改革組合取調書では402。 児玉町には中山道脇往還(川越往還)が通り、交通の要地に位置し、近世中・後期には一定の荷物や人馬の通行があったとみられ、八幡山町と共に月交替で人馬継立を行っていた。はじめ八幡山町だけの業務であったが、江戸中期以降当町が加わったと云われ、そのため町場は賑わい、民家は八幡山町から児玉町にかけて、道路の両側に建ち並んだ。同時に近在の物資集散地となり、両町合わせて月12回の市が立ち、穀物・絹・紬などが取引された。 今、古い町並や古い形式の民家は旧街道沿いの仲町から本町界隈に多く見られる。土蔵造りの店舗や土蔵で重厚な家屋も見られ、旧街道に沿った在郷町の、また旧街道の宿場町の面影を色濃く残した町並みが展開されていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 埼玉県の地名 埼玉県 平凡社 ( 有)平凡社地方資料センター 1993年 |
児玉町児玉の町並 |
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