旧東海道筋の湯本から分かれて、早川沿いに箱根七湯があり、それらの温泉地を結ぶ道が箱根七湯道と言われていた。現在は国道1号線となり、有名な温泉地であるが、車の通行が多く、ゆっくりと散策が出来ない温泉地である。 中世の箱根越えの道は湯本より湯坂山・浅間山・鷹巣山と新期外輪山の尾根を経て、精進が池の淵を通り箱根権現に至る道で湯坂路と呼ばれ、その後芦ノ湖畔を通り三島へ下がる道のりであった。 北条氏の敗北後、徳川家康が関東に入部、家康によって幕府が開かれると、東海道をはじめとして五街道の宿駅制度が進み、小田原と三島を結ぶ箱根八里の道が整備された。 江戸期の早川沿いの湯治場は箱根七湯と呼ばれ、関東一円からの湯治客で賑わった。 湯本・塔ノ沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯の湯治場があった。 七湯への湯治客、箱根八里の往還者の増加に伴い、湯治土産・街道土産として箱根細工と呼ばれる木工品の生産が盛んになっていった。 今回訪ねたのは塔ノ沢と宮ノ下の2ヶ所で共に七湯道沿いにあり、塔ノ沢は老中酒井日向守内室、藤堂左京亮、毛利和泉守などの諸大名や家族が湯治入湯したことが知られている。また元禄12年(1699)には将軍家への献上湯樽がこの地から運ばれている。天保初期の家数24、うち湯宿9とある。国道1号線沿いにある温泉地のため車が多くて、温泉情緒が楽しめないのが最大の欠点のようだ。 宮ノ下は近世には湯治客で賑わい、「永代日記」に寛文12年(1672)に藩主稲葉正則が宮ノ下へ湯治に来たことが記されている。農間には挽物細工を行ったのは塔ノ沢と同じ。延享2年(1745)の家数は24とある。 宮ノ下の中心に歴史あるホテルの一つ富士屋ホテルがある。明治期には江戸期からの老舗の奈良屋旅館と富士屋ホテルが競っていたが、関東大震災で奈良屋が廃業してしまい、今では富士屋ホテルがこの一画で飛びぬけて大きなホテルとして君臨している。そして富士屋ホテルに周辺には旅館や土産物屋や古美術店・飲食店などが軒を並べ、国道より山側に入ると傾斜地に沿って古い旅館や住宅が建ち並び、しっとりとした温泉街を形成していた。 神奈川県の歴史散歩上 山川出版社 群馬県高等学校教科研究会 1998年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 神奈川県の地名 平凡社 下中邦彦 1984年 |
塔ノ沢の函嶺洞門 |
塔ノ沢の町並 |
塔ノ沢の老舗旅館 |
塔ノ沢の町並 |
塔ノ沢の町並 |
宮ノ下の老舗富士屋ホテル |
宮ノ下の町並 |
宮ノ下の町並 |
宮ノ下の町並 |
宮ノ下の町並 |
宮ノ下の町並 |
宮ノ下の菊華荘(旧御用邸) |