富津市佐貫の町並 
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佐貫の町並

 富津市佐貫は房総半島のほぼ中央部西海岸で東京湾に面している。
中世には佐貫郷などとみえ、佐貫城が築かれていた。近世には内藤氏・松平氏・阿部氏の佐貫藩の藩政庁が置かれていた。
天正18年(1590)徳川家康の関東入部に伴い、内藤家長が佐貫城に入り、慶長5年(1600)内藤政長が襲封、元和8年(1622)松平忠重が、寛永16年(1639)松平勝隆が入り、宝永7年(1710)阿部正鎮が1万6千石で入封し以後8代にわたり当地を藩政庁として幕末に至る。
文禄3年(1594)の上総国村高帳に佐貫村として380石。正保国絵図では高385石で佐貫町とある。元禄郷帳でも佐貫町として高467石余、寛政5年(1793)の上総国村高帳では佐貫村として高428石余。房総往還が通り、人馬の継ぎ立場であった。
江戸湾(東京湾)の湾口に位置することから、江戸湾防備の拠点の一つで、陸奥白河藩が房総沿岸防備を命じられ、竹ヶ岡村と富津村に台場と陣屋を築いたが、海防担当はのち武蔵忍藩・陸奥会津藩・備前岡山藩・筑後柳川藩・陸奥二本松藩・上野前橋藩と交替し、そのたびに領主が代わった。
その領民には、陣屋常詰役・駆け付人足役・役船・水主役などが課され、大名家臣の通行や物資輸送のための助郷人馬も大きな負担であった。
今、古い町並は旧房総往来(現国道127号線)とそれに直交する国道465号線の交差する辺りに展開している。土蔵造りの店舗建物が多く見られ、なかなか見応えある町並構成を見せている。中でも醤油醸造元の土蔵造りの建物の数々は町並景観に大きく寄与していた。
町並み指数 40
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  日本の地名 千葉県  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1996年

佐貫の町並

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