富津市金谷の町並 
金谷
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金谷の町並

 富津市金谷は房総半島のほぼ中央部の西海岸東京湾に面して位置する。鋸山西麓にある金谷村の海岸部で浜金谷と呼ばれる所。
文禄3年(1594)の「上総国村高帳」で金谷村と見え高760石余。正保国絵図では金谷浜町とあり高452石余。寛文4年(1664)の松平重利領知目録に金谷村と見え下野皆川藩領。元禄郷帳では金谷村として高525石余で幕末までほぼ同様。寛政5年(1793)の上総国村高帳では家数238で旗本白須氏領。天保年間(1830〜44)以降忍藩領、会津藩領、柳川藩領、二本松藩領を経て、「旧高旧領」では前橋藩領。
延享3年(1746)の村明細帳によると家数392・人数2,155。この内浜方は149・740とある。文政6年(1823)には岡方の家数238・人数1267、浜方の家数190・人数1028。天保9年(1838)の家数425のうち農業専業205・漁業専業175・農間商・職人45とある。
浜集落は漁業渡世の者のみで、岡集落でも漁業を営む者が無く農業渡世の者のみで、村は二分されていた。
天保9年(1838)の村明細帳に大工・木挽・左官とともに石屋も見え、安政5年(1858)当時は石工24名いた。これらの石工は鋸山から産出した房州石(元名石)の切出しに従事していた。建築石材として用いられ、明治期には金谷から海路江戸に運ばれ、駅舎建設などに用いられた。
この金谷は古い町並でなく、房州石の町並を見るために訪ねた。JR内房線浜金谷駅前の旧房総往還に沿って房州石の石垣が続く町並。土蔵に房州石が使われている建物もみられる。柔らかそうな石材で、中には風雨に打たれて形態を留めないものも見られる。宇都宮近郊で産出する大谷石よりも早くから江戸では使用されていたようで、東京の近代化に貢献した房州石の故郷である。
町並み指数 40
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  日本の地名 千葉県  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1996年

金谷の町並

金谷の町並

金谷の房州石の家屋

金谷の房州石の石垣

金谷の町並

金谷の町並

金谷の町並

金谷の町並

金谷の町並

金谷の町並
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