藤沢市江の島の町並
江の島1丁目・2丁目
地図


江の島1丁目・2丁目の町並
 藤沢市江の島は神奈川県の中央部、相模湾上に位置する島で、古くから江島弁天の弁天信仰で栄え、現在でも県内有数の観光地である。
江島神社は欽明天皇13年(552)創祀と伝える。「吾妻鏡」寿永元年(1182)4月5日条に初めて初見がみられる。それによるとこの日に源頼朝が奥州の鎮守府将軍藤原秀衡を調伏するため、京都高雄の文覚上人を請じ大弁財天を勧進し供養しており、江島明神はこの時から始まったと伝える。建仁元年(1202)には将軍源頼家が、建保4年(1216)には将軍源実朝夫人、安貞2年(1228)には将軍藤原頼経が参拝しているなど、平安期から鎌倉期にかけて歴代将軍の信仰を集め、室町期まで続いた。
慶長5年(1600)には徳川家康が江島神社に参拝し、漁業の様子を視察している。江戸期には全島が江島三社(本宮・上之宮・下之宮)の朱印地となり、岩本院は寛永17年(1640)から宝永元年(1704)まで数回にわたって、本末論争のすえ上之宮・下之宮を末寺にして江の島全島の支配を確立した。
弁天信仰は江戸中期から江戸庶民の間に流行し、参詣者が急増した。
集落は江の島入口の西町と東側の猟師町(東町)にあり、三宮の門前として賑わった。住民の生業は漁業で、猟師町は周辺農村から集められた米の津出場でもあった。天保12年(1841)の家数161、明治2年の家数155・人数855、明治10年の家数142、漁船56。民業は商25・漁115・工2とある。
明治に入り、神仏分離政策が断行され、仏教色が一掃された。明治7年に岩本院が旅館を開業した。
現在も参道(弁財天仲見世通り)の両側には土産物屋を中心に飲食店や参詣客相手の商店が建ち並ぶ。訪ねたときは平日にも関わらず多くの参詣者で賑わっていた。参道両側では特別に古いと感じる建物も目に付かなかったが、伝統ある参詣道の両側の建物、それなりの重みが感じられる門前町であった。
町並み指数  20
参考文献
   神奈川県の歴史散歩下  山川出版社  群馬県高等学校教科研究会 1999年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和59
   神奈川県の地名  平凡社  下中邦彦  1984年


江の島1丁目・2丁目の町並

江の島1丁目・2丁目の町並

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江の島1丁目・2丁目の町並

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江島神社より町並を見る
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