本郷は本郷台地の中心部を占め、江戸時代には中山道(日光御成道と重複)が縦貫していた。寛永年間(1624〜44)には地域の大部分は武家屋敷となったと考えられる。北の半分は加賀金沢藩上屋敷や水戸藩中屋敷のどの大名屋敷に多く割られ、南半分は下級幕臣が拝領した組屋敷(大縄地)が多かった。町家ははじめ中山道(本郷1〜6丁目)沿いに発達し、のちに大縄地のうちに本郷春木町・本郷金助町・本郷菊坂町・本郷菊坂台町・本郷菊坂田町などで町家が建ちだした。 元は本郷村として纏まっていたが、町立てがなされて6町に分かれたという。町立ての時期は明らかでないが、寛文年間(1661〜73)には既に6町になっていたという。 川柳に「本郷も兼康までは江戸のうち」と読まれたように、本郷3丁目の医師兼康氏の薬種・小間物店辺りまでは繁華な町場であったが、その北では様相が一変し、武家屋敷が連なっていた。 本郷3丁目までは中山道に沿って町家が並び江戸のうちといわれたが、その北の4〜6丁目までは街道に沿っては町家はあるがその奥は広大な武家屋敷が展開していた。また、中山道に沿っていない町では、武家屋敷の町と、武家屋敷と町家が入り混じった町もあった。 明治4年に廃藩置県が行われると、旧藩士たちは国元に帰り、かっての大名屋敷は荒廃したが、大きな屋敷地は明治政府が買収し、国の施設として陸軍省が兵器の製造、文部省が大学などの教育施設に利用した。 明治30年代に上野及び神田からの路面電車(都電)が開通、現在の本郷通りに面した本郷3丁目には学生を対象とした書店・薬種医療機器店等が並び、毎月8・12・22日に立つ夜店は有名であった。 本郷は森鴎外・夏目漱石などの多くの文豪の住んだ町として名高く、そして太平洋戦争でもこの地区はあまり焼けることなく、古い町並みや古い民家が残った。町並みを歩くと、古い家屋が多く残り、戦災で焼けなかった地域だなあと実感できる。木造3階建ての下宿アパート「本郷館」はその中でも圧巻であった。 東京都の歴史散歩中 山川出版社 東京都歴史教育研究会 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和53 東京都の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
本郷5丁目の町並 |
本郷6丁目の町並 |
本郷6丁目の町並 |
本郷6丁目の町並 (洋食レストラン天神山) |
本郷6丁目の町並 (本郷館) |
本郷4丁目の町並 |
本郷4丁目の町並 |
本郷4丁目の町並 |
本郷4丁目の町並 |
本郷4丁目の町並 |