文京区白山辺り、江戸時代のはじめは百姓地であったが、明暦3年(1657)の大火を契機に、江戸城近くにあった大名屋敷が、周辺の台地上に移転させた。それらの大名屋敷やその下級武士の屋敷がこの辺りにも多く移転してきた。 川柳に詠まれる「本郷も兼康までは江戸の内」とあるように、本郷3丁目にあった医師兼康祐悦の薬種・小間物店辺りまでが市街地で、その北は広大な大名屋敷が続いていたようだ。 この白山辺りも大名屋敷や下級幕臣が拝領した組屋敷(大縄地)と寺院が多かった。その中の所々に百姓屋や町家が混じった地域であった。 明治4年に廃藩置県が行われると、旧藩士たちは国元に帰り、かっての大名屋敷や拝領地は荒廃したが、大きな屋敷地は明治政府が買収し、国の施設として陸軍省が兵器の製造、文部省が大学などの教育施設に利用した。 今回訪ねた白山一丁目は町割りの様子からして、戦災で焼残った地区ですが、江戸時代から町屋が建て込んだ所だったのだろうと思う。白山2丁目、小石川植物園がある3丁目や4丁目は武家屋敷が多かった地域ですが、明らかに町の様子が異なり江戸時代から庶民の町だったところのようだった。 大正期の板張りの家、終戦直後のモルタル塗りの家などが連なり、一般的な古い町並とは異なるが、東京都心の真ん中にあると言うだけで貴重な町並みである。 台地の下の部分に印刷・製本業者が多いと思ったが、大学が多い文教地区だからかもしれない。 東京都の歴史散歩上 山川出版社 東京都歴史教育研究会 1998年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和53 東京都の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
白山1丁目の町並 |
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