あきる野市戸倉は東京都西部、多摩川の支流秋川の上流域で、東京都の都心より西方約50kmの位置にある。 江戸はじめは幕府領、延享4年(1747)からは田安家領のまま明治を向かえる。 戸倉小学校の裏山手が城山と呼ばれる地域で、中世には小宮氏によって築かれた戸倉城があり、大石道俊がこの城の隠居したという。 文化・文政期(1804〜30)の「風土記稿」では田安家領で家数137。安政2年(1855)の村柄書上帳では家数144・人数812・馬3とあり、生業は男は材木の伐採や筏流し、女は養蚕や紡織であった。 戸倉は江戸期には木炭生産を主としていたため、多摩川本流の村々に比べて用材生産の最盛期を迎えたのは遅く、江戸後期になってからである。木材の輸送は筏流しによるが、筏を組む秋川の最上流が戸倉村の行瀬で、そこから上流は木材を1本ずつ流す管流しであった。行瀬で組まれた筏は多摩川下流の六郷(現大田区)まで三日〜一週間位を要して運ばれた。 木炭はこれらの筏の上荷として一緒に運ばれた。山の立木を買取り、木材を商品として江戸の木材問屋に売り渡す地元の木材業者を筏師というが、この筏師が戸倉村には7名もいた。筏乗り(乗子衆)はこれらの筏師から運送仕事を請負うが、明治初期には戸倉村に50名の筏乗りがいた。他に林業従事者35人、木挽10名とある。 今、戸倉の古い町並みは旧檜原道に沿って展開している。この道は本郷通りと呼ばれている。 野崎酒造の建屋を中心とする町並みで、規模は小さいが入母屋造りの茅葺き屋根の民家が点在していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和53年 日本の地名 東京都 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年年 |
戸倉の町並み |
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