上野村乙父は群馬県の南西端、神流川上流域の両側に位置するが、今回訪ねたのは、神流川左岸で旧十石街道沿いの旧乙父村乙父集落である。古くは乙母村と一村で遠西村と称した。 江戸期は概ね幕府領、乙父村の村高は「寛文郷帳」では34石全て畑方、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」共に116石余。宝暦6年(1756)の13ヶ村人数書上控では人数526人。村内に御用林もあり山仕事に従事する人が多く、また木地師も多かった。主食は雑穀で、養蚕や和紙生産も行われていた。造り酒屋も一軒あったといい、武州小鹿野へ運ばれていた。幕末の改革組合村高帳によると高116石余、家数116。慶応4年(1868)の人数460、馬33とある。 十石街道沿いの乙父集落を歩くと、大型の養蚕農家の建物と商家風の建物が混在した町並みが展開している。 かっては農業の傍ら商家や旅籠も兼業していたのだろうと思われる町並みだ。大型家屋でも人の住む気配のない建物は哀れを誘う。このような過疎地を訪ねるのは心痛める探訪である。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
乙父の町並 |
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