上野村楢原は群馬県の最南端、神流川上流域及び同川支流流域に位置し、埼玉・長野両県境の山々に囲まれた地域であり、今回訪ねたのは神流川左岸の旧十石街道沿いの黒澤家住宅のある楢原集落である。 江戸期を通じて幕府領。村高は「寛文郷帳」では「奈良原村と見え52石余で全て畑方、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」共に192石余。宝暦6年(1756)の13ヶ村人数書上控では人数941人。宝暦9年(1759)の村明細帳では家数208・人数961、馬52。 当地に山中領での御用林の管理と、鷹狩用の巣鷹の管理を行う上山郷(上野村)の肝煎名主であった黒澤家が君臨していた。黒澤家は代々山中領上山郷(上野村)の肝煎名主であり、山中領中山郷(中里村)、下山郷(万場町)3郷の大総代でもあったことから、御用林の管理と巣鷹の管理任務に任命された。 黒澤家に天保5年(1834)に生まれた黒澤胤十郎は明治初期の地租改正の時に、村民を指導し、土地の民有化に貢献した。山仕事に従事する人が多くなり、木地師も多く住むようになった。米作が出来ないので、主食は雑穀(ソバ・アワ・ヒエ・大豆・小豆)で、桑や楮も栽培し、養蚕や和紙の生産も行っていた。 幕末の改革組合村高帳によると、村高192石余、家数192とある。明治10年頃の家数157・人数608、馬40とある。黒澤家住宅は昭和45年国の重要文化財に指定され、昭和54年に敷地とともに上野村の所有になり、整備されて一般公開されているが、訪ねた当日は休館日で中を見られなかったのが残念だった。 集落を歩くと、近隣集落同様に旧十石街道に沿って養蚕農家の大型家屋と商家建物が混在した町並みが見られるが、住んで居られるのか、無住なのか判らない家屋が多く、30分ほど歩きまわったが誰一人も見なかった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
楢原の町並 |
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楢原の黒澤家 |
楢原の黒澤家 |
楢原の黒澤家 |
楢原の民家 |