上野村川和・乙母は群馬県南西端、、神流川上流域、蛇行する神流川の右岸に川和村が、左岸に乙母村が位置する。近世は概ね幕府領。村高は川和村は「寛文郷帳」に村名の記載がなく、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに37石余。「寛文郷帳」に記載が無いのは、当時、国境は神流川であったため、武蔵国に含まれていると思われる。宝暦6年(1756)の13ヶ村人数書上控では人数171人。河岸段丘は3段になっていて畑はよく開け、雑穀(ソバ ・ヒエ・大豆・小豆)や桑・楮などの栽培が中心であった。幕末の改革組合村高帳によると村高37石余、家数49。川和集落は黒澤姓が多い。昭和46年に村役場が乙母から川和に移り村行政の中心地となった。 乙母村は「寛文郷帳」では45石余で全て畑方、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」共に47石余。宝暦6年(1756)の13ヶ村人数書上控では人数156人。集落内を十石街道が通り、宿屋・商店もあったが、大部分は農家で商店なども兼業農家であった。北側の斜面が耕地で、雑穀・桑・楮を中心に栽培していた。幕末の改革組合村高帳によると村高47石余、家数39。乙母集落は今井姓が多い。 川和・乙母ともに農林業中心の集落で、麦・コンニャク・雑穀・薪炭・木材・養蚕で生計を維持してきたが、近年は兼業農家が多く、コンニャク・キノコ・菊の栽培が中心である。集落を歩くと気抜きの備わった養蚕農家特有の大型家屋が多く見られ、商家建物も混在しているこの地方の特有の集落形態であった。でも、人が住んでいるのか、住んでないのか判らない家屋が多いのも寂しい限りであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
川和の町並 |
川和の町並 |
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乙母の町並 |
乙母の町並 |
乙母の町並 |
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