つくば市筑波は現在のつくば市域の最北部、筑波山南中腹に位置する集落である。 江戸期ははじめ佐竹氏領、慶長7年(1602)筑波山寺(中禅寺とも真言宗知足院とも云う)領、(元禄期は護持院領、幕末期は筑波神社領)。 村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに500石。筑波山が江戸城の鬼門にあたることから、幕府の祈願所となり、、慶長7年に筑波郷500石が知足院に寄進された。寛永10年(1633)知足院の堂塔が修築され、大御堂・三重塔や多くの僧坊が建ち、以来門前町として繁栄した。旅籠屋・小間物屋・飲食店のほか大工・屋根野・建具屋などの諸職人も多く住み、半農半商の集落となっていた。 そして明治5年の廃仏毀釈によって、知足院は筑波神社となったが、大御堂など多くの堂塔の建物が破壊され、仏具も大半が破壊され、筑波は寂れてしまった。 大正期になり、登山バスやケーブルカーが開通し、観光地として脚光を浴びるようになった。 今も、筑波神社への道は細い急坂だったり、階段だったりする道が続く。途中に郵便局の建物も残っていて、ここが町の中心だったのだなあと思うが、賑やかだった当時の面影は残っておらなかった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
筑波の町並 |
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筑波の旧郵便局の建物 |
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