高萩市上手綱は茨城県の北東部、関根川中流右岸に位置し、高萩市街より北西約5kmの所。 かっては下手綱村と合わせて一村であったが、やがて分村し、慶長年間(1596〜1615)再び合併し、寛永年間(1624〜44)再び分村したと云う。 江戸はじめは岩城氏領、慶長7年(1602)松岡藩領、元和8年(1622)水戸藩領、明治元年松岡藩領。 村高は寛永12年(1635)「水戸藩郷高帳」1,710石余、「元禄郷帳」1,546石余、「天保郷帳」1,723石余。寛政元年(1789)の人数678とある。 家数・人数は文化元年(1804)175・654、安政3年(1856)173・816。「水府志料」によると家数177、村の規模は東西2里30町余・南北1里余、物産は紙・松茸など。農間には男は炭を焼き、薪を売り、駄送り、山稼ぎなどを行っていたが、農業中心のしかもこれと云った特産物もない地域であった。 今回訪ねた上手綱には、巨大な屋敷に豪農の見事な家屋が数多く見られる。瓦葺であったり茅葺であったりするが、曲り屋で茅葺屋根の豪農の家屋も見られる。 中でも豪農家屋の穂積家住宅が圧巻であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
上手綱の穂積家住宅 |
上手綱の民家の門 |
上手綱の町並 |
上手綱の町並 |
上手綱の町並 |
上手綱の町並 |