コンニャクの産地として有名である下仁田は江戸時代は中山道脇街道の通る重要な街道・宿場であった。 江戸のはじめは幕府領であったが、天明6年(1769)からは幕府領と旗本小笠原氏領に分かれている。 中山道の脇往還(裏街道)として賑わった下仁田は、信州米の江戸への輸送路であったり、佐久米の米穀市場として近隣村の中心であった。 中山道は碓氷峠を越え碓氷の谷筋を通る俊険な山道と厳しい(入り鉄砲に出女)碓氷関所を避け、鏑川筋を通る中山道脇往還が関東と信州を結ぶ重要な街道であって、幕府御用砥石と信州米の輸送路でもあった。またこの街道は姫街道とも呼ばれ、女性が通ることが多く、善光寺参詣の旅人も通る交通量の多い街道であった。 米作は出来ずに全て畑作で、麦・芋・麻・栗・稗・蕎麦・大根・カリ豆などが作られていた。 市は2・5・9の九斎市が立ち、信州からの信州佐久米を中心に、西上州からの産物(麻・絹・紙)や砥石等の集散地として重要な位置を占めていた。 天明8年(1788)の村明細帳によると、家数360・人数1,405であった。天保9年(1838)の記録では、家数235・人数998とある。 明治24年の家数417・人数2,590とあり、生糸、養蚕、製糸の盛んな地域であった。またコンニャクのは江戸時代以前から作られていたが、特に明治中期より栽培が盛んになり今に続いている。 この町では、宿場町や街道筋の町並としての面影はあまり残っておらないが、この地方の在郷町として発展した面影は町並に残っている。 群馬県の歴史散歩 山川出版社 群馬県高等学校教育研究会 1998年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
下仁田の町並 |
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下仁田の民家(コンニャクの商家) |