国道254号線の下仁田の町並を過ぎると西牧川沿いに下小坂の集落が現れる。今は信州街道と呼ばれているが、江戸時代には中山道脇往還といわれ、急峻な中山道を避けて、上州と信州を結ぶ街道で、姫街道とも呼ばれ女性の通行が多かった。また善光寺への参詣客も多く利用した。(下仁田町下仁田・下仁田町本宿にも記載) この集落の江戸時代は取り立てて記載することもないが、幕末に下仁田戦争がこの地で行われている。水戸藩内の内紛から発した尊攘派の天狗党と幕命を受けた高崎藩とがこの地で戦い多くの戦死者を出している。 この集落も江戸から明治になって、養蚕業が栄えたのだろう。集落の殆どが大きな家を構えて2階屋根には空気抜きの小屋根が乗っている。 養蚕時代には家中全てに蚕棚が置かれていただろう。養蚕の盛んだった当時の様子を伺い知ることが出来る。でも、今では2階が部屋になり、子供達の生活の場だったが、それも時代と共に子供が都会へと出て行き、今では全くの空き部屋になっていた。建物は明治の中期から後期にかけて建てられたもののようで、どの家も大きな空気抜きを備えた養蚕農家の大型家屋で集落が構成されていて、自動車で通りかかって、これは見事と思い訪ねたのです。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
下小坂の町並 |
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下小坂の民家 |
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