下仁田町本宿の町並
本宿
地図


本宿の町並
 中山道の脇往還(裏街道)として賑わった本宿村は、信州米の江戸への輸送路であったり、佐久米の米穀市場として近隣村の中心であった。
中山道は碓氷峠を越え碓氷の谷筋を通る俊険な山道と厳しい(入り鉄砲に出女)碓氷関所を避け、鏑川筋を通る中山道脇往還が関東と信州を結ぶ重要な街道であった。本宿村は信州に抜ける内山峠と和美峠の二つの道が分岐する所で本宿村と鏑川下流の藤井村の境に西牧関所が置かれていた。
創設は文禄年間(1592〜96)といわれ、幕府御用砥石と信州米の輸送路であった。またこの街道は姫街道とも呼ばれ、女性が通ることが多く、善光寺参詣の旅人も通る交通量の多い街道であった。
この地域では米は自給できないので、信州佐久産に頼り、米のほかに西上州の特産品の麻・絹・紙・砥石などの集散地として重要な位置を占めていた。
江戸時代は幕府領で全て畑地だった。元文年間(1736〜41)の本宿村様子書上帳によれば、家数68・人数387であった。
鏑川左岸を中山道の脇往還が通り、街道両側に町並が形成され、宿場町として又信州と上州を結ぶ荷駄の中継地として賑わった。
今でも江戸時代とあまり変らない様相で、旧街道筋の両側に伝統的な家屋や土蔵が連なる。
過っては多くの家が出桁造りの家だったのだろうが、今も数は少ないが健在であった。しかし町並の殆どは2階建てで、中2階建てが見られないのはどうしてだろう。明治時代に大火があって宿場全部が焼けた後の再建だからかもしれないと思いながらの探訪であった。街道に沿った町並の裏側には鏑川が清らかに流れていて、町並を歩いている時の穏やかな町並印象とは違い、町並の裏側は崖っぷちにへばり付いた、厳しい表情を見せていた。
町並み指数  60
参考文献
   群馬県の歴史散歩  山川出版社  群馬県高等学校教育研究会  1998年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63
   群馬県の地名  平凡社  平凡社地方資料センター  1987年


本宿の町並

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