佐野市葛生は栃木県南西部、佐野市街の北北東約12km、秋山川流域の段丘上の平地に位置する。 江戸期の支配関係は頻繁な交代が繰り返され、幕府領になったのは6回にも及ぶ。佐野藩領・小山藩領・宇都宮藩領・真岡藩領・小田原藩領・栃木氏領・土浦藩領・館林藩領が3回も繰り返されている。 村高は元和4年(1618)の検地では2,080石余、天保郷帳では2,267石余。天保年間(1830〜44)の家数324。 当地では江戸初期から石灰生産が始められ、江戸城の修復などに利用された。当地を主とする野州石灰は江戸において、八王子石灰の勢力を圧倒し、明治維新はさらに発展した。 慶応4年(1868)では家数345・人数1,497。明治4年の戸籍簿によると家数331。うち純農242・兼業87・そのた2。兼業の内容は麻商10・石灰焼立て5・酒造5・旅館5・屋根葺き4・左官4・小間物3・大工3・藍玉売り3・太物3・荒物3などをはじめ多くの業種が見られる。 今、古い町並みは広い通りの県道123号線沿いに展開して??点在していた。 連続した古い町並とは言えないが、伝統的な様式で建てられた商家の建物が点在している。この道は道路幅が広く、電柱が地中化されていてすっきりした町並みになっている。ごく最近に道路拡張が行われ、多くの古い建物が取り壊されたのだろうと思う。 道路整備の名のもとに、古い町並みが壊された跡を見たようで、気持良い町並み探訪でなかった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 日本の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 |
葛生東1丁目の町並 |
葛生西1丁目の町並 |
葛生西1丁目の町並 |
葛生西1丁目の町並 |
葛生西1丁目の町並 |
葛生東1丁目の町並 |
葛生西1丁目の町並 |
葛生西1丁目の町並 |