大田原市黒羽向町は栃木県北東部、那珂川上流右岸の段丘上に位置する。 江戸期を通じて黒羽藩領で黒羽城下町の一つであった。 天正4年(1576)大関高増が那珂川の左岸、松葉川との合流点の北方の丘陵崖上に黒羽城(現黒羽城跡公園)を築き、その城下町としたのが当地域である。 城下町は那珂川東岸の城のふもとに立地する田町、那珂川の西岸の向町、城から松葉川を隔てた同川東岸にある前田町、城の北東部にある河原町から成り立っていた。只、「元禄郷町や「天保郷帳」などの郷帳類では田町は阿久津村、向町は石井沢村、前田町は前田村、河原町は堀之内村として扱われ、それぞれの村の町場化した所が黒羽城下を構成していたようだ。 向町には関街道が通り、北の上町、南の下町と分かれていた。向上町は4町17間、向下町は3町30間の町並が関街道に沿って並び、上町と下町の境から東へ道が分かれ、那珂川の船橋を渡って田町へ入る。田町は河原町より4町40間続き、南に馬場がある。 向町には関街道が通り、黒羽河岸が設けられていたことなどにより、商業の中心は向町にあったと考えられる。 文化年間(1804〜18)の家数は向町170・田町170・前田町40・河原町20。侍屋敷は不明。 黒羽河岸は向町の南に設けられていた。那珂川最上流の河岸で、河岸の設置は明暦元年(1655)、問屋の運送の初めは万治年中(1658〜61)と云われているが、慶安4年(1651)には河岸が設けられていたとの記録がある。積み出されたものに米穀・酒・煙草・柏皮・楮・木材・硫黄などがあり、移入貨物は干魚などの海産物であった。 今、旧関街道沿いの黒羽向町には重厚な伝統的様式の建物が数多く残っている。昨年の東日本大震災で相当大きな被害を受けたので、修復中の建物もあったが、取り壊された建物もあると地元の方の話。切り妻や入母屋造り、平入りや妻入り、平屋・中2階建て・2階建て、トタン葺や瓦葺、重厚な土蔵造りの家屋も見られる、なかなかの町並である。中でも明治期に建てられた黒塗り現役の銀行建物もあり楽しく町並み探索ができた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 日本の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 栃木県の歴史散歩 山川出版社 栃木県歴史散歩編集委員会 1999年 |
黒羽向町の町並 |
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