大田原市親園は栃木県北東部、那須扇状地の扇端部、箒川左岸に位置し、湧泉地帯を形成している。 親園村は明治7年、中居村と八木沢村が合併して成立した村。 中居八木沢村を南北に奥州街道が通っていて、北の八木沢地区と南の中居地区の二つの集落から成っていて、各々独立して扱われる場合もある。江戸初めは那須藩領だが、その後幕府領となり明治を迎える。「慶安郷帳」では八木沢村と中居村が独立して記されているが、「元禄郷帳」では中居八木沢村として一村扱いになっている。 安永年中(1772〜81)の家数177・人数828、文化14年(1817)の書上げでは家数137・人数584、天保10年(1839)の家数人別増減帳によると人数356とある。 地区内を通る旧奥州街道沿いに、人家が集まり、長屋門・白壁土蔵をもつ民家が連続して建ち並んでいる。かっては親園村の中心地であったが、どうして白壁土蔵の屋敷群が建ち並んでいるのか。 享和3年(1803)八木沢村仲丸に那須・塩谷地方の幕府領支配強化のため出張陣屋が設けられた。そのことによる武家屋敷なのか、この地の豪農の屋敷なのかはよく判らないまま探訪を終えた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 日本の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 |
親園の町並 |
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