Shimazakiさんから写真を提供願いました |
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大田原市佐久山は栃木県北東部、箒川右岸の河岸段丘上から丘陵のすそに形成された集落。 佐久山町は江戸期を通じて旗本福原氏領。村高は「慶安郷帳」では佐久山村とみえ750石余、「元禄郷帳」647石余、「天保郷帳」1,548石余、「旧高旧領」では1,451石余。「改革組合村」では天保年間(1830〜44)の家数128とある。 奥州街道佐久山宿が置かれていて、江戸期は福原氏の陣屋町よりも、奥州街道佐久山宿として賑わった。元禄期(1688〜1704)には宿内300軒に達し「花の佐久山御殿の山よ、春日桜で市をなす」とうたわれるような繁栄ぶりであったという。宝暦年中(1751〜64)の家数は176。文化元年(1804)、大火で宿内の大部分が焼失した。天保14年(1843)の宿村大概帳によると宿内の町並は東西に続き長さ10町12間、家数121・人数473、本陣1、脇本陣1、旅籠屋27、問屋場1で、本陣・脇本陣・問屋場はいずれも仲町にあった。明治18年の日本鉄道(現JR東北本線)の開通に伴い宿場としての使命は失われた。 この宿場町を訪ねたが、旧奥州街道(現県道52号線)沿いには、殆ど宿場町当時の名残は残っておらないが、宿場町外れにある造り酒屋の建物が古い町並形成に大きく寄与していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 日本の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 |
佐久山の町並 |
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