日光市は東照宮がある町として有名である。 日光山の開山は遠く天平神護2年(766)に四本龍寺(のち輪王寺)の建立からはじまると云われている。延暦3年(784)には山麓の湖畔に中禅寺も建てられた。鎌倉期に入ると日光山は源頼朝の保護を受け、所領を増やし寄進などで社殿の造営がすすみ、延文3年(1361)には山内門前も市が立つほど発展していた。 しかし室町後期には宇都宮氏と戦火を交えたこともあって、天正18年(1590)の豊臣秀吉の相模小田原攻めの際、小田原北条氏に荷担したため、日光山はその所領の大部分を没収された。 江戸期に入り、元和3年(1617)徳川家康を祀る東照社(のち東照宮)の創建を機に復興が行われた。寛永11年〜13年(1634〜36)には東照宮の大造替が行われ、本社・陽明門をはじめとして今日見る建造物の大半が建てられ、僧坊も宗徒大坊20ヶ院・小坊80ヶ院が備わった。 寛永18年(1641)山内に散在する町屋が山外の東西へ移転させられ、山内と門前町の規模が定まった。門前町の日光町は大谷川に架かる神橋を境に西町と東町に分かれた。西町には本町・原町・袋町・4軒町・大工町・板挽町・蓮華石町が、東町には鉢石町・御幸町・石屋町・松原町稲荷町があった。 鉢石町は日光街道の終点の宿場として、正保元年(1644)に伝馬宿に指定され、旅籠屋・土産物屋などが軒を連ねた。天保14年(1843)の宿村大概帳によると、宿内の長さは東西5町余り、家数227・人数985、下鉢石町に本陣2軒、旅籠屋は19軒あり、漆器・木工器・ろう石細工などの土産品を扱う家が多くあった。 日光山は江戸期から道者といわれる参詣人が多かったが、明治に入ると外国人の参詣が増加した。明治5年には奥日光の女人禁制解除になり、鈴木ホテル・小西旅館などの外国人用宿泊施設のほか、明治6年には金谷コッテ−ジ・インが最初の洋式ホテルとして開業し、益々観光都市日光として発展した。 現在、門前町の建物は明治に入ってからの建物で、外国人を含む多くの観光客が参詣に訪れてから建った建物。それだけに各地の宿場町のような伝統的な商家の建物はなかった。 また、現在も国内有数の観光地で、多くの方が観光に見えるが、その殆どは観光バスで来て、駐車場から山内に入られるので門前町を通ることなく観光が終わってしまう。 門前町の潤いが少なく、東照宮をはじめとした観光コースを訪れる方に比べ、門前町の寂れようが気にかかる所です。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 日本の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 栃木県の歴史散歩 山川出版社 栃木県の歴史散歩編集委員会 1999年 別冊太陽 日本の町並V 平凡社 江田修司 2004年 |
上鉢石町の町並 |
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