南牧村大仁田は群馬県の南西部、南牧川の支流大仁田川流域の山間部に位置する。 大仁田村の江戸期ははじめは幕府領、文化9年(1812)から旗本小幡氏領。村高は「寛文郷帳」で畑方35石余、「元禄郷帳」78石余、「天保郷帳」79石余、「旧高旧領」78石余。検地は延宝6年(1678)に行われ反別28町余・村高78石であった。 地域の南部は山中領御巣鷹山、南西部は信州佐久郡の御巣鷹山が続き、伐木などで大きく制約を受け、深山の麓のため霧が深く作物の実りが悪く、楮・桑・穀物の収穫がない年も続く状態であった。 文化13年(1816)の人数332人、「郡村誌」によると明治10年頃の家数76・人数382、牡馬20、生糸70貫目、四分延紙500俵、半紙400俵、コンニャク玉250駄などを産していた。明治17年の家数75・人数406。 南牧道(現県道93号線)を南牧村役場近くから南に2kmほど進むと、大仁田集落に到着する。古い町並みと云うより、大型の養蚕農家の廃墟の町並みになっている。明らかに朽ちるのを待っている家屋や、人の住む気配のない家屋、人が住んで居られるのであろうが、あまり生活感のない家屋などが連なっていると、来るべきだ無かったと思える集落。限界集落という言葉があるが、そこまで行かなくともそれに近い状態だと思える集落形態だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
大仁田の町並 |
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