南牧村大日向は群馬県の西端、南牧川中流域に位置する。 大日向村の江戸はじめは幕府領、文政8年(1825)旗本松平氏領、天保7年(1836)再び幕府領、嘉永7年(1854)旗本小笠原氏領。 享保5年(1720)の村明細帳書上帳では反別35町余、村高182石余。村高は「寛文郷帳」で畑方44石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに182石余。 村明細帳による家数・人数は貞享4年(1687)120・586、享保5年(1720)135・712であった。諸商人渡世書上帳による天保9年(1838)の家数118・人数499とある。 幕末の改革組合村高帳によると,村高182石余、家数122とある。「郡村誌」では明治10年頃の家数111・人数492、馬15、生糸147貫目・四分延紙58俵・半紙30俵・楮皮2,908貫目・コンニャク玉5,280貫目などを産していた。 大日向は南牧村となる前は、月形村と呼ばれ、近隣の磐戸村・尾沢村の3ヶ村が合併して昭和30年に南牧村になったもので、月形村の中心地であったのが、そのまま南牧村の中心地になり、村役場が置かれている。 南牧村は過疎地域の典型のようなもので、高齢者の割合が日本一と云われている。大型の養蚕農家の建物が並ぶ風景は日本の原風景なのだが、東京から100km圏内にも拘らず、このように限界集落に近い状態は何故だろうかと思いながらの探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
大日向の町並 |
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