南牧村磐戸の町並
磐戸
地図

 
磐戸の町並

 南牧村磐戸は群馬県南西部、南牧川中流域の両側に位置する。
江戸期は幕府領。岩戸村の検地は延宝6年(1678)に実施され反別28町余、石高152石で全て畑。
村高は「寛文郷帳」で畑方73石余、「元禄郷帳」152石余、「天保郷帳」153石余、「旧高旧領」152石余。
村明細帳によると、家数・人数は延享元年(1744)120・505、宝暦4年(1754)125・439、明和元年(1764)122・494、天明4年(1784)102・492、寛政6年(1794)123・416、文政10年(1827)86・354、明治10年頃104・422。
農間稼ぎは男は薪取り・紙漉き、女は糸取り・絹織り・蚕掃立をしていた。天保9年(1838)に農間穀物商3・同居酒屋2・同酒造居酒屋・同髪結・同古鉄商各1がいた。酒造嘉右衛門は鑑札酒造米高204石で、醤油造常次郎は安政5年(1858)40石を造っている。
幕末の改革組合村高帳によると村高152石余、家数93。岩戸村から磐戸村と改称したのは明治10年頃と言われている。
今、町並みを歩くと大型の養蚕農家の建物と商家の建物が入り混じって、連続した町並みが続く、所謂町場を形成している。歴史資料上、在郷町や宿場という記載はないが、明らかに在郷町や宿場町的な様相を呈している。
余り予備知識無しに訪ねたが、思わぬ町並みに出会えて嬉しくてワクワクした探訪だった。
多分これは明治に入って養蚕が栄えたときに、江戸期とは異なった人や物の流れが出来たからだろうと思う。
それは下仁田で脇中山道から分岐して、南牧谷を経由して信州・甲州に通じる南牧道が磐戸を通り、尚且、磐戸から南の檜沢を経由して、山中領(多野郡上野村)に通じる道があり、山中領の方々との交易も盛んだったと思われる。
思わぬ古い町並みに出会えたが、過疎集落には違いなく、今のうちに保存・保護の手が打てないかと思いながら探索を終えた。
町並み指数  40
参考文献
   角川日本地名大辞典    角川書店    角川日本地名大辞典編纂委員会    昭和63年
   群馬県の地名    平凡社    平凡社地方資料センター    1987年


磐戸の町並

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磐戸の町並

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