南牧村星尾は群馬県西部端、南牧川に沿った旧南牧道(現県道93号線)を、羽沢から北に進む道沿いに展開しているのが星尾の各集落である。 江戸期はじめは幕府領、文政8年(1825)旗本松平氏領、天保7年(1836)再び幕府領、嘉永7年(1854)旗本小笠原氏領。村高は「寛文郷帳」には星保村と見え村高は畑方76石余、「元禄郷帳」176石余、「天保郷帳」177石余、「旧高旧領」176石余。宝暦9年(1759)の村差出帳では反別43町余、村高126石余で耕地は全て畑であった。 家数・人数は村差出帳によると、宝暦9年(1759)90・422、明和4年(1767)95・453、天保9年(1838)107・388、同13年(1842)102・404、弘化2年(1845)110・420、同5年(1848)112・411。 畑作物は大麦・小麦・粟・稗・芋・小豆・苅豆・菜・大根など。農間稼ぎは男は薪取り・砥山普請日雇・砥石の砥駄賃、女は絹織・紙漉きなどであった。 幕末の改革組合村高帳によると村高は126石余、家数102。「郡村誌」によると明治10年頃の家数106・人数440、馬22、物産は生糸90貫余、小半紙72俵、コンニャク玉60俵。明治22年の家数116・人数496とある。 星尾には小さな集落が北に向かう道沿いに展開している。そのうちの一番南の集落中庭を訪ねました。道沿いと云っても 街道筋でないので、傾斜地の山村集落であった。訪ねたところは比較的綺麗な家屋が多く、余り生活感は感じられないが、家の周りは綺麗に整備されていた家屋が多かった。集落名を確かめたいので誰か人に逢いたいと懸命に探したが、探索中誰一人とも出逢えなく、多分中庭集落と思う程度の探訪に終わった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
星尾中庭の町並 |
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