南牧村羽沢は群馬県最西端、南牧川の上流域の山間地に位置する。 羽沢村の江戸はじめは幕府領。文政8年(1825)旗本松平氏領、天保7年(1836)再び幕府領、嘉永7年(1854)旗本小笠原氏領。村高は「寛文郷帳」で59石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに144石余。文政10年()の村差出帳によると反別47町4反余・村高144石余で耕地はすべて畑。畑作物は大麦・小麦・粟・稗・芋・小豆・苅豆・大根などである。 農間稼ぎでは、男は紙漉き・砥山普請日雇・砥石輸送駄賃、女は絹・織機・紙漉きなどを行っていた。文政10年(1827)の村明細帳によると、家数125・人数388、馬11、水車1、猟銃鉄砲9・四季打鉄砲9、鍛冶2がいた。 幕末の改革組合村高帳によると、村高144石余、家数99。天保9年(1838)の家数109・人数365、「郡村誌」によると明治10年頃の家数105・人数402、馬19、生糸62貫目・楮皮832貫目・コンニャク玉1,708貫目などを産していた。 南牧川・旧南牧道に沿った集落内を歩くと、養蚕農家の大型家屋が建ち並んでいる。出桁造りの養蚕農家の建物。南牧道に面した家屋は比較的綺麗な状態で保たれていたが、あまり生活感が感じられない。人が住んで居られるのか、家屋の維持のために時々町から来られるのか、それとも高齢のお婆さんが一人ひっそりと暮らして居られるのかも知れない。いずれにしてもこの養蚕農家の家屋が少しでも長く維持されることを願っての探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
羽沢の町並 |
羽沢の町並 |
羽沢の町並 |
羽沢の町並 |
羽沢の町並 |
羽沢の町並 |
羽沢の町並 |
羽沢の町並 |