那珂川町馬頭は栃木県の東端、那珂川の支流武茂川が馬頭村の中央を流れる。 慶長9年(1604)から常陸水戸藩領で幕末を向かえる。 境明神峠越えの東西路は常陸国水戸と、黒羽・大田原方面を結ぶとして重要で、南北の江戸と奥州棚倉(現福島県東白川郡棚倉)を結ぶ道が交差した交通の要衝であった。 東西の道の両端は鉤の手に曲げられている。 村高は「慶安郷帳」1,156石余、「天保郷帳」1,434石余、「旧高旧領4」925石余。 享保19年(1734)の人数1,301。「水府志料」によると文化年間(1804〜18)の家数236。 この地は交通の要衝として発展し、特産の煙草の集荷・積出や近隣各藩の蔵米輸送などに携わる商人たちの活動も盛んであった。 当地の煙草栽培は水戸藩の生産奨励もあり、典型的な換金作物として生産が拡大した。明治37年の煙草専売法に実施によって、専売局の主管となったが、この地方の重要産業として耕作地域も拡大していった。 古い町並みは旧水戸への道の両側に展開している。伝統的な様式で建てられた家屋の連続した町並は少ないが、見応えある町並が残っていた。建物の統一性は見られないものの、重厚な商家建物が道の両側に連なる。瓦屋根の家屋が少ないのはこの地方の特徴でしょう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 日本の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 |
馬頭の町並 |
馬頭の町並 |
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