長野原町羽根尾は群馬県西部、利根川上流部の吾妻川上流左岸の台地上の段丘面に街村状に分布している。 江戸はじめは沼田藩領、天和元年(1681)から幕府領で明治を向かえる。 以前は現在地より西北にあったが、貞享4年(1687)に現在地に移り、村名を羽尾から羽根尾に改称した。「天保郷帳」「旧高旧領」ともに羽根尾村とあり258石余。 羽根尾は中山道追分宿・沓掛宿と草津を結ぶ草津街道と高崎・下室田・大戸・須賀尾・狩宿・大笹宿・仁礼・福島(現須坂市)を結ぶ信州街道(長野街道)の交差する交通の要衝として栄えたが、人馬継送りをめぐって狩宿と紛争も起こしている。 幕末の改革組合村高帳によると、大戸村寄場組合に属し、高258石余、家数44とある。明治10年頃の家数45・人数209、馬37。農業42軒・商業3軒・医師1軒で繭20石4斗4升、麻258貫500匁を産している。 今、羽根尾の町を歩くと、かって養蚕が盛んだったときの名残の大型家屋が連なっている。 只、この町が街道筋だったためか大型家屋の多くが街道に面して建っているのが特徴だろう。せがい造り云われる出桁造りの大型家屋が街道に連なっている光景は見応えある町並だが、どういう訳か国道の西側にばかり町並が連なり、東側はガラガラに空いているのは、国道の拡張工事で家屋が撤去された結果だとうと思う。 それと、良い町並みが残っているのだが、国道に沿っているので車の通行量が多く、写真を撮るにも苦労する状態だったのはチョット残念だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
羽根尾の町並 |
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