茂木町茂木は栃木県の南東端、逆川と坂井川の合流点南側に位置する。 今の茂木町茂木は、江戸期には逆川の左岸の藤縄村と右岸の槻木村の町場の総称で、茂木町と云われ茂木陣屋の陣屋町であった。 藤縄村も槻木村も江戸はじめは佐竹氏領、慶長7年(1602)幕府領、同15年(1610)茂木藩領、元和2年(1616)から常陸谷田部藩領で明治を向かえる。 慶長15年(1610)この地に入った細川氏は、城山にある中世からの茂木城を廃し、茂木町内に藩庁組織を置き、郭内と称した。元和2年(1616)細川氏は常陸国谷田部(現茨城県つくば市)に居所を移し、郭内に陣屋(現茂木町民センター)が置かれた。 そして陣屋を中心に郭内に上級藩士の屋敷や藩倉などが並び屋敷町を形成、郭内の周辺に町人町が置かれ、近世的城下町が整備された。町人町には砂田町・横町・大町・寺町・上の町・新町・田町・裏町・片町などがあり商人や職人街を形成した。 町屋敷の大半は藤縄村属していて、藤縄村の家数・人数などは、寛政8年(1796)家数63・人数517、馬63とある。 町内を水戸と宇都宮を結ぶ水戸街道(茂木街道)が通る交通の要地で、宿場的な役割も持ち、水戸徳川家の日光代参などの大通行の際には周辺の村々に助郷役が課せられていた。 享保年間(1716〜36)以前から六斎市が立ち、炭・穀物・檜木物・魚・牛馬などが取引されていた。江戸期の産業の中心は煙草と和紙があげられる。藩に1,000両もの大金を貸し付けていた商人も二人いて、他にも多くの豪商が所在していた。 古い陣屋町と思って訪ね町並を歩いたが、陣屋町当時の繁栄の名残は感じられない町並みであったのはチョット残念と思った。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 日本の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 |
茂木の町並 |
茂木の町並 |
茂木の町並 |
茂木の町並 |
茂木の町並 |
茂木の町並 |
茂木の町並 |
茂木の町並 |