みなかみ町月夜野は利根川上流域右岸、群馬県の県庁所在地前橋市より北約30kmに位置する。 江戸はじめは沼田藩領、天和元年(1681)幕府領、元禄16年(1703)沼田藩領、享保15年(1730)幕府領、享保17(1732)年から沼田藩領で明治を向かえる。 元々月夜野町は小川村・石倉村と共に小川郷といい、土豪小川氏の本拠地で居城小川城があった。小川郷は上下に分かれていたが、寛文年間(1661〜73)沼田藩主真田信利が、下小川を小川新町、上小川を小川村とし、寛文11年(1671)小川新町を月夜野町としたと伝えるが、寛保2年(1742)の新巻町明細帳下書では承応2年(1653)とあり、詳細は不明である。江戸期には平凡な寒村の片田舎だったようである。 現みなかみ町(旧新治村新巻)に六斎市が立てられていたが、真田信利の姉高貞院が月夜野に居を構え、市が立つようになったため、新巻の市が取潰しになったとある。 月夜野では酒造も行われていたようで、元文4年(1739)の乗合酒造鉦文によると、酒造人は酒仲間を作り酒道具・仕入金・酒造米等を各々分担して整え、利害、諸掛りも折半で負担することにしていた。 江戸後期の御改革組合高帳によると家数158で沼田藩領とある。「郡村誌」によると明治10年頃の家数174・人数652とあり、牡馬2・牝馬81。農・桑業160・酒造3・商業1・農間に銃猟をなすもの5人とある。 この月夜野は上越新幹線の上毛高原駅から、旧三国街道の宿場町を訪ねる途中で見つけた町並である。切り妻造り平入りトタン屋根で、熱気抜きの小屋根が備わった、養蚕農家の大型家屋が目についたので車と留めて町並み探索したところ。 県道273号線に沿って切り妻造りで・出桁造りの家屋も混じった町並が展開していた。街道に沿った町並みを展開しているので、かっては、在郷町的な要素も備えた町並だったようだ。屋根は緩い勾配のトタン葺き又は桟瓦葺き屋根で、関東地方独特の重量感ある鬼瓦を乗せた頭でっかちの家屋とは大きく異なる養蚕家屋独特の軽い感じの形態の屋根の町並だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |