みなかみ町布施箕輪の町並み
布施箕輪
地図


布施箕輪の町並
 みなかみ町布施の箕輪集落は利根川上流の支流赤谷川下流に合流する須川川沿い左岸に位置する小さな集落である。旧三国街道沿いの宿場町である布施宿から、旧新治村役場(現新治支所)を通りさらに奥に行った所にひっそりと佇む。
布施村の江戸初期は沼田藩領、元和元年(1615)幕府領、宝永2年(1705)沼田藩領、享保15年(1730)幕府領、寛延元年(1748)上里見藩領、宝暦9年(1759)幕府領、文化8年(1811)から幕府領と旗本小田切氏領の相給となり明治を向かえる。
江戸期は煙草栽培が盛んであったようで、文久元年(1861)の沼田煙草商人仲間議定連名帳に布施村の12名が載っている。
江戸期から行われていた養蚕は、開国後急速に発展し、富岡に官営の製糸工場まで作られるようになり、養蚕と製糸業が全国各地で発達した。その中でも群馬県は一番養蚕・製糸の盛んな地域であり、養蚕農家の大型家屋が多く残っている風景が各所でみられる。
その一つに養蚕農家建物が密集して残っている小さな集落がこの布施箕輪集落である。旧新治村役場跡から小高い山を一つ廻り込むと、突如現れる養蚕農家の赤いトタン覆いの大型建物の集団にはびっくりする。
建物は2階建てであったり、3階建てであったり、茅葺きのトタン覆いや勾配の緩いトタン屋根であったりといろいろだが、どの建物も明治中期に建てられたもののようだ。尚その上にこの集落には新しい様式で建て替えられた現代的な建物が見当たらないことも、養蚕農家集落の価値を向上させている。
この地の養蚕家屋の特徴に2階建ての出桁造りが多く見られ、少しでも広い空間を確保しようした工夫だろうが、迫力ある建物にみえる。その上に3階を設け更にその上に小屋根の空気抜きを備えている。
大型養蚕家屋独特の小屋根を設けた空気抜きがどの家屋にも備わった風景は見事なものである。この空気抜きは初夏の暑い中での「蚕」の養育に汗を流した苦労が忍ばれる。
町並み指数  40
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
   群馬県の地名  平凡社  平凡社地方資料センター  1987年
   別冊太陽  日本の町並V  平凡社  湯原公浩  2004年    


布施箕輪の町並

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