みなかみ町新巻は利根川上流の支流赤谷川の左岸、県都前橋市より北約30kmに位置する、旧三国街道沿いの宿場町である。 みなかみ町の旧新治村には三国街道の宿場が6宿あった。江戸よりから下新田宿・今宿・布施宿・須川宿・相俣宿・永井宿の6宿で、猿ヶ京村には関所が置かれていた。 このページでは新巻村今宿と羽場村下新田宿について解説する。 新巻村・羽場村共に江戸初期は沼田藩領、元和元年(1615)幕府領、宝永2年(1705)沼田藩領、享保15年(1730)幕府領、同17年(1732)沼田藩領、寛保2年(1742)幕府領、文化8年(1811)から新巻村は旗本大久保氏、羽場村は菅沼氏領となり明治を向かえる。 新巻村の今宿は江戸初期には越後方面は相俣宿まで、江戸方面は中山宿(現高山村)までの馬継ぎであったが、その後須川宿や塚原宿の成立により馬継の距離は短くなり、更に、下新田宿・布施宿の成立により新巻村今宿を加えた三宿で馬継ぎをするようになった。一ヶ月の内、上10日は下新田宿・中10日を今宿・下10日を布施宿と云うように三分して勤め、各宿に2軒づつの問屋が置かれた。 只、下新田宿は独立した村でなく、天保年間(1830〜44)作成されたと思われる絵図によると、30軒のうち新巻村分9軒、羽場村分21軒によって構成されていて、現在も基本的にはこの構成が維持されている。氏神様が異なり氏子や祭礼の日付も異なる別の神社である。 新巻村の家数は寛保2年(1742)の町明細帳下書によると144とあり、羽場村の家数は元禄7年(1694)141、安永4年(1775)204で人数は654とある。 今、町並には当時の宿場町の名残が殆ど無いようで、明治期の養蚕が盛んだった名残を残した大型の家屋がトタン葺きの屋根で建ち並んでいた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
新巻(今宿)の町並 |
新巻(下新田宿)の町並 |
新巻(下新田宿)の町並 |
新巻(下新田宿)の町並 |
新巻(下新田宿)の町並 |
新巻(下新田宿)の町並 |