真壁町は江戸時代から明治・大正にかけて、この地の商業の中心として栄え、多くの商人たちが店蔵・土蔵・門などを競って建てたのが今に残り、かっての隆盛を忍ばせている。 中世以来、真壁城に拠った真壁氏の支配も、関ヶ原の戦いの戦後処理によって、慶長7年(1602)に秋田に移封され、約400年続いた当地支配に終止符が打たれた。当城には浅野長重が、次いで稲葉正勝が入城したが、寛永5年(1628)正勝が下野真岡藩を継ぎ、真壁城は廃城となった。 江戸初期、当地は西部の町場が町屋村、東部の真壁城のあるところを古城村と称されるようになった。 この地は木綿の栽培が盛んで、他に大豆・麦なども栽培され、綿織物・醸造業なども発達し、城下町から在郷町へと変化していった。町屋村内には上宿町・下宿町・高上町・中町・新宿町の五町があった。木綿取引の定期市が開かれ、真壁・筑波郡一帯の縞木綿が集まり東北地方に販売されていた。天明6年(1786)の町差出帳によると町屋村の家数278・人数1072である。明治に入っても木綿栽培に支えられた製糸業が発達し、真壁製糸合資会社が設立し、大正に入って筑波鉄道の開通により、真壁の花崗岩が石材として東京方面に出荷され石材の町としても発達した。 古城村の明治24年の家数80・人数498であった。 江戸期から明治・大正にかけて在郷町として発展し、富を得た商人らによって建てられた重厚な建物が、今、真壁町の登録文化財として保存・活用するために定められ、町並保存とともに町民の関心ごととなっているのは喜ばしいことである。 参考までに平成16年4月1日現在 77棟が登録されている。これは町・村で見ると日本一の数となっている。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
高上町通りの町並 |
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御陣屋前通りの町並 |
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新宿通りの町並 |
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上宿通りの町並 |
下宿通りの町並 |
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御陣屋前通りの町並 |