現在は前橋市清野町と言われているが江戸時代には野良犬村といった。 江戸時代はじめは安中藩領であったが、幕府領、旗本酒井氏領、幕府領、清水家領と換わり幕府領で明治を向えている。 慶長14年(1609)に三国街道の宿制が実施されたときに、ここより北東約400mの所で如来野村と呼ばれていた村がそのままこの地に移転してきたが、狼が多く、狼の字を分けて野良犬村としたという。その後明治22年近隣の池端村・野良犬村・上青梨子村・青梨子村の4ヶ村が合併して清里村となり、野良犬は清里村野良犬となった。この清里村も池のさんずいと青と結合し清。野の字の里遍をとって清里村とした。そして昭和30年に清里村を解消して前橋市に合併する際、清里村野良犬の清と野を合わせて清野町とした。 野良犬の安政2年(1855)の資料では家数44・人数150とあり、明治24年では家数40・人数212だった。 三国街道の宿制でこの地に移住してきたそうだが、正式な宿場でなく、まあ街道筋の町程度だったのだろう。宿場として機能した資料は見つかっていない。 今、この集落を歩くと、当然宿場の名残はなく、空気抜きが備わった養蚕農家の大型の家屋で、明治期に建てられたと思われる家屋が多かった。そしてこの地の養蚕家屋は前橋・高崎・渋川に交通の便がよく、2階の養蚕場だった所も、部屋として利用されているように見られ、過疎化が進んでいるようには見えなかった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
清野町の町並 |
清野町の民家 |
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