笠間市平町は茨城県中央部よりやや北西部、涸沼川(ひぬま川)の中流左岸に位置する。 鎌倉初期から常陸国守護の八田知家の四男 八田家政がこの地を領し城を築いて、宍戸氏と称し以後16代に渡って支配した。 文禄元年(1592)宍戸氏は佐竹氏に敗れ、真壁郡海老ヶ島に転封になり当地は佐竹領となる。慶長7年(1602)佐竹氏は秋田に転封になり、代わって秋田実季が入封して、宍戸藩が成立する。その秋田氏も正保2年(1645)三春(福島県田村市)に転封後当地は幕府領となる。その後天和2年(1682)「水戸黄門」こと徳川光圀の弟松平頼雄が、宍戸藩主となり陣屋を設け、幕末まで治世が続く。 笠間と府中(現石岡市)を結ぶ往還にあたっていたので、陣屋町の他に宿場的な機能も果たしていた。明治22年水戸鉄道(現JR水戸線)が開通すると、宍戸駅は石岡・高浜方面や遠く東京方面と当地と結ぶ物資流通の積替え地となり、駅周辺は旅人宿や雑貨商などが軒を並べた。 ところが明治28年に一部が、明治31年に常磐線全線が開通した。茫々たる原野に新設された友部駅は常磐線と水戸線の結節駅となり、地域開発の拠点として大きく発展し、宍戸駅周辺は衰退して行った。 当地の主要農産物は米・麦・木材・薪炭でこれに次いで繭がある。明治25年には畑面積の25パーセントが桑畑で、養蚕農家は45パーセントにもなったが、その後あまり発展しなかった。 宍戸の古い町並は涸沼川に沿った古くからの道の両側で展開している。この道が宍戸と府中を結ぶ主要街道だったのだろう。今は往時の賑わいの名残も殆ど無く、伝統的な様式の家屋が点在する住宅地になっているが、それでも大きな門を構えた家、千本格子を残した大型家屋などがあり、平入り・妻入りの家屋が混在する静かな町並であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
平町の町並 |
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