
| 笠間町笠間はほぼ茨城県の中央部、涸沼川の上流左岸に位置する。 江戸期は笠間藩の城下町。上市毛村の中央部に形成された城下町。 笠間城は慶長2年(1597)宇都宮氏の改易により、浅野長政の城預かり、蒲生秀行の所領、松平康重が城主、小笠原吉次・水谷勝隆・本堂茂親・戸田康長・永井直勝・浅野長重・井上正利・本庄宗資・井上正岑と笠間藩の領主が代わったが、延享4年(1747)牧野貞通が入封して以後、明治まで笠間藩を統治した。 佐白山の笠間城は天守を持つ城郭で、笠間城の西方、涸沼川と佐白山に挟まれた東西600m、南北2kmの細長い平坦地に城下町が形成された。現在の笠間市の中心市街とほぼ同じ。正保2年(1645)の常陸国笠間之城下絵図によると、町人町は本町・愛宕町・高橋町など五ヶ町、侍屋敷は座頭町・表町など15町で構成されていた。 城下町からは、北方へ水戸道、西方へ宇都宮茂木道・野州道(結城街道)、南方へ江戸街道があり、交通の要衝でもあり、宿場町もかねていて、城下への出入り口の愛宕・小貫口・高橋口などは桝形となっていた。 一方、笠間は日本三大稲荷の一つに数えられる笠間稲荷の門前町でもある。寛保3年(1743)藩主井上正賢によって造営され、祈願所として以来、牧野氏にも引き継がれている。幕末から明治には、稲荷信仰は庶民の間に広まり、参詣客の増加に伴い神社周辺には商店が建ち並び、門前町として発展してきた。 訪ねたのは笠間稲荷の門前町で、正月だったこともあり、土産物屋や飲食店・旅館などが軒を並べ賑わっていて、造り酒屋の杉玉が古い町並みに色を添えていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
![]() 笠間の町並 |
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