神流町魚尾(よのお)は群馬県の南西部、神流川上流域左岸に位置する。 魚尾村の江戸期は幕府領、村高は「寛文郷帳」で畑方172石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」共に183石余。寛永19年(1642)の代官法度遵守請書に山中領中山郷の一村として村名が見える。宝暦6年(1756)の山中領中山・上山13ヶ村人数書上控による人数503人。漆の栽培が行われ、その漆に対して年貢が課せられていた。 幕末の改革組合村高帳では村高183石余、家数112とある。明治24年の家数135・人数689、馬73であった。漆の他に、生糸・半紙」・コンニャクなどが生産されていた。 神流川左岸に沿って細長く小集落をなして散在する山村集落である。かって栄えていた当時の養蚕農家の大型家屋が連なるが、無住であったり、放置された家屋も見られ、過疎に悩む地域そのものと思いながらの探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
か 魚尾の町並 |
魚尾の町並 |
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