神栖市高浜は茨城県南東部、常陸利根川左岸に位置する。 近世はじめは旗本佐竹氏領であったが、寛永年間・元禄年間・幕末期ともに旗本大久保氏の知行。村高は寛永10年()「鹿島領地頭御分地高帳」及び「元禄郷帳」ともに174石余、「「天保郷帳」「旧高簿」ともに196石余。 当地方は水戸から飯沼(千葉県銚子市)を結ぶ飯沼街道と利根川の水運によって、江戸及び隣接地との交流が行われていた。とは言え参勤交代の大名が通ることも無い往還で鹿島神社・香取神社・鳥栖神社への参詣客が多く訪れていた。 明治24年の家数49・人数286とある。江戸・明治・大正を通じて農業が主な産業だったようだが、一部漁業も行われていただろう。 高浜集落はこの飯沼街道から少し常陸利根川に寄った所にあった。それぞれの家の周りは綺麗に刈り込んだ槇の生垣に囲われていて、見事な槇の生垣集落が見られた。 飯沼街道には槇の生垣が多くあるとの情報で訪ねたのだが、この高浜集落の槇の生垣には驚いた。確かに房総半島の外房には槇の生垣が多く見られますが、この高浜集落程見事に槇の生垣が整備されている所は見たことが無いと思う。集落で申し合わせての剪定などが行われているのだろうか。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
高浜の町並 |
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