潮来市潮来の町並 
潮来
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潮来の町並

 潮来市は茨城県南部、常陸利根川の左岸に位置し、潮来の主な集落は常陸利根川と北浦を繋ぐ前川の北側にある。
江戸期初めは佐竹氏領、のち慶長14年(1609)水戸藩領、幕末期には幕府と水戸藩の相給。
村高は寛永12年(1635)「水戸藩領高帳」727石余(他に新田230石余)、「元禄郷帳」927石(他に201石余)、「天保郷帳」では1,232石余(他に422石余)、「旧高簿」1,971石余。
「水府志料」によると、紅葉組に属し、家数651、村の規模は南北・東西ともに18町余。
潮来は霞ヶ浦・利根川水運の中継点にあたり、利根川を遡ってくるものと、那珂湊から涸沼川を通って、北浦を経てくるものの合流点でもあった。そのため陸奥の仙台藩や南部藩の蔵屋敷が河岸に建ち並び、この地方隋一の商業都市として発展した。
村と称していたが実質的には在郷町で、1〜8丁に区分され、各丁には年寄が置かれていた。
明和4年(1767)の家数730・人数2,608とある。
遊女屋も許可され、大洗と並んで水戸藩領下の二大遊郭の地として栄えた。江戸期を通じて6〜10軒程の遊女屋が開業していた。
しかし、江戸中期頃から前川が次第に埋まって通船が困難になったのと、直接江戸湾への航路が整備発展するとともに、潮来への入船が減少した。仙台藩などの蔵屋敷が閉鎖されるに及んで、湊町としての機能を失い、香取神社や成田山新勝寺への参拝客の宿としての体面を留めるに至った。
今、当時の名残は前川に沿った街道筋に見られる。造り酒屋さんも健在であり、漆喰塗り壁の伝統的な建物が見栄えのする町並を形成している。切妻造り・寄棟造り・入母屋造りの家屋が混在した町並で、多くの伝統的な建物は平屋もしくは中2階建てだった。
町並み指数 30
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  日本の地名 茨城県  平凡社  下中邦彦  1982年 

潮来の町並

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