石岡市須釜は筑波山の東方、霞ヶ浦に注ぐ恋瀬川支流の川又川右岸に位置する。 江戸期寛文年間(1661〜73)は下総関宿藩領、貞享4年(1687)土浦藩領、元禄年間(1688〜1704)は幕府領と旗本山高氏・島田氏・三雲氏の相給、幕末は旗本内藤氏ほか3氏の相給。村高は「元禄郷帳」513石余、「天保郷帳」516石余。天保14年(1843)の家数25。 筑波・鹿島や筑波・水戸への交通路が通り、その両側に家々が並び集落があった。 今も往時のそのままのような感じで町並が展開する。どの家も街道に沿って大谷石の石垣を積んだ姿で迎えてくれる。 街道に沿っていたが農村集落そのもので、大谷石の石垣集落と云う感じの集落であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
須釜の町並 |
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