石岡市小幡は茨城県のほぼ中央部、筑波山の東方山麓、霞ヶ浦に注ぐ恋瀬川の支流川又川の上流右岸に位置する。 江戸期の寛文年間(1661〜73)は下総関宿藩領、貞享4年(1687)土浦藩領、元禄年間(1688〜1704)・幕末期共に旗本板倉氏知行。 村高は「元禄郷帳」1,616石余、「天保郷帳」1,641石余。 小幡は筑波山・鹿島神社を繋ぐ参詣道、筑波・水戸などへの交通路、真壁方面への分岐点のため宿場的性格を有し、天保14年(1843)年当時は湯屋・髪結床・居酒屋・小間物商などの農間余業が行われていたと思われ、家数90を数える。 地名にも上宿・中宿・下宿の名がみられることから、事実上の宿場だったのだろう。 一本の主要道路(県道42号線)は昔からの街道でこの道に沿って、街町を展開している。宿場町として機能していたようだが、今町並を歩いた感じでは、江戸末期から明治期にかけて土地集積を進めた豪農、豪商が街道筋に家屋敷を構えたと思える光景が展開している。 巨大な門構えの豪農の屋敷が連なる光景は、周りに異様な雰囲気を漂わせているようだった。 また、大きな茅葺き屋根の農家が多く見られるのもこの地域の特徴だろうと思える。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 別冊太陽 日本の町並V 平凡社 湯原公浩 2004年 |
小幡の町並 |
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