石段の旅館街として名が知られている伊香保温泉は、二ッ岳の北東斜面の標高720mから810mのところに発達した温泉街である。伊香保神社下から続く360段の石段の両側に温泉旅館・みやげ物屋やスナックなどの飲食店が並んでいる。 室町期には既に広く知られていた温泉で、文明18年(1486)には京都常光院の僧 尭恵は草津温泉から「いかほの出湯」に移り、一週間ほど滞在し、榛名山や榛名湖を訪ねている。 江戸時代になり、伊香保村ははじめ高崎藩安藤氏領、寛永9年(1632)から幕府領で明治を迎える。 伊香保村は二ッ岳が村中央にあるため、耕地は畑だけであり、急斜面にある伊香保温泉を中心に発展し、農耕よりも温泉稼ぎを主としていた。 寛政12年(1800)の村明細帳によると、家数136・人数544である。安政2年(1855)の渋川村組合村柄書上帳によると家数111軒・人数406人。 元治2年(1865)の宗門帳によると、大屋14・門屋56・店借41となっている。大家は地主で身分的には本百姓で、名主以下の村役を独占していた。門屋は地借百姓で大屋から屋敷・湯権・耕地等を与えられ、その代償として手間料や夫役などの義務を負っていた。店借は大屋から屋敷地を借受け酒屋・豆腐店などの諸商いを営んでいた。 明治10年頃には家数127軒・人数530人で、温泉客を泊める宿と雑商を営むかたわら農耕に従事するものが殆どで、養蚕紡織につくものはおらなかったようだ。 今、石段の温泉街を歩くと、決して古い建物が並んでいる訳でないが、ここには懐かしい温泉場と言うイメージが湧いてくる。大きなホテル形式の旅館は石段街から離れた位置にバイパス道のように自動車が通れる道に面して建っているため、結果的に昔からのメイン道路の石段道が取り残された格好になり、町並みが残ったのである。 みやげ物屋、飲食店、スナック、名物の「湯の花まんじゅう」屋さん、勿論古い形式の旅館などが石段の両側に並んでいる。 又、三国街道の裏街道だった名残で、関所(口留番所)跡や旧ハワイ国公使別邸もあった。 群馬県の歴史散歩 山川出版社 群馬県高等学校教育研究会 1998年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
石段の町並み |
石段の町並み |
石段の町並み |
石段の町並み |
石段の町並み |
石段の町並み |