常陸太田市大中町・折橋町は茨城県の最北端に位置し、多賀山地と久慈山地に挟まれ、その間を久慈川の支流里川が流れ、南北に細長く開けた山村。 大中村・折橋村ともに江戸初期は佐竹氏領、慶長7年(1602)松岡藩領、元和8年(1622)から水戸藩領。村高は寛永12年(1635)「水戸領郷高帳」では大中村1,153石余・折橋村1,482石余、「元禄郷帳」では大中村1,562石余・折橋村839石余、「天保郷帳」大中村1,621石余・折橋村910石余。 「水府志料」によると家数は大中村120・折橋村102。村の規模は大中村は東西3里・南北21町、折橋村は東西3里・南北21町余。両村に棚倉街道の宿駅が置かれていて、折橋村から東に大能村を経て岩城相馬街道へ通じる道が交わり交通の要衝であった。 慶長18年(1613)には既に大中村と折橋村に市が立っていたほど賑わっていた。 棚倉街道は水戸藩にとっては重要な幹線道路で、奥州の諸大名も参勤交代のときに利用していて、米・材木等の諸物資が運ばれていた。 今、往時の宿場町の面影があまり残っておらないが、普通の農村集落と違い、街道に面して家屋を構えている光景は宿場町だった頃の名残だろう。中には大きな門や土蔵を構える家も見られるのも、かっての繁栄の証だろうと思う探索だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
折橋町の町並 |
折橋町の町並 |
折橋町の町並 |
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大中町の町並 |
大中町の町並 |
大中町の町並 |
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