常陸太田市町屋町は茨城県北部、常陸太田市の北部、久慈川支流の里川中流域に位置する。 町屋村の江戸期はじめは佐竹氏領、後慶長14年(1609)からは水戸藩領となる。村高は寛永12年(1635)「水戸藩郷高帳」621石余、「元禄郷帳」657石余、「天保郷帳」731石余。 「水府志料」によると家数136で、村の規模は東西1里16町・南北約18町、水戸から奥州への往還(棚倉街道)の宿駅であった。 寒水石や橄欖石を産し、なかでも町屋の斑石とも称される石は水戸家累代の墓石使用のため掘り出された。後に一般の採掘は禁じられた。また、煙草の産地としても有名で、水戸国府の煙草として品質の優秀さは全国に知られていた。 町屋村は棚倉街道の宿場町として発達したが、これと云った資料が残っておらないようだ。 国道349号線がバイパスとして旧棚倉街道から外れて通ったため、古い町並は往時のまま残り、かっての宿場町の雰囲気を残してひっそりとした佇まいを見せている。 最盛期には9軒もの旅館や多くの飲食店、観劇場などの宿泊娯楽施設もあったようですが、昭和19年の町中心部の大火により町並の多くが焼失してしまった。焼け残った建物やその後に建てられた建物の形態も、寄棟・切妻・入母屋と多種にわたり、バラエテイのある町並みを形成しているが、江戸まで遡れる建物は無いようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
町屋町の町並 |
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