東吾妻町郷原の町並み
郷原
地図


郷原の町並
 東吾妻町郷原は利根川上流域の吾妻川中流左岸、北にある岩櫃山(いわびつ)南麓の吾妻川段丘上に位置する。
江戸はじめは沼田藩領、天和元年(1681)幕府領、元禄16年(1703)沼田藩領となり、享保17年(1732)幕府領。文政7年(1824)三卿の清水領となり、安政2年(1855)幕府代官設楽氏支配、安政3年(1856)幕府領となり明治を向かえる。
貞享3年(1686)の再検地で223石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」でも同高。「旧高旧領」で222石余。
安政2年(1855)の村明細帳によると家数91・人数455。
信州街道の道筋で、中山道の脇往還で「大戸通り」・「草津街道」とも云われた。北信三藩の城米などの荷物輸送や善光寺参詣・草津入湯客の往来で栄えた。
明治10年頃の家数96・人数412、馬44。生業は農業・桑業70戸・猟師7戸・商業13戸・工業5戸・医者1戸(男子)、養蚕・製糸・麻布業65人(女子)で生糸20貫・麻1000貫を産していた。
天保10年(1839)の木版刷りの「諸業高名録」にも麻繭買次・質・酒造業の菅谷勘右衛門、他3軒の宿泊案内が掲載されていて当時の繁栄が伺える。
今も、集落内には繁栄していた明治期の養蚕や桑業時代の名残の大型家屋が見られる。この集落も街道に沿っていたので、街道に沿った平入りの建物。木造3階建ての「せがい造り」と云われる出桁造りの大型建物が、養蚕時代そのままの空気抜きを残して並び建つ姿は迫力ある光景だ。中には1階より2階が、2階より3階が張り出した建物もみられ、出桁造りの標本のような建物も見られた。
町並み指数  40
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
   群馬県の地名  平凡社  平凡社地方資料センター  1987年


郷原の町並

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