藤岡市鬼石は群馬県南部、神流川中流域に位置し、県都前橋市より南約25kmに当たり、訪ねた所は東流してきた神流川が直角に北に曲がる所の左岸で、古くから町場を形成して居たところ。 江戸期は幕府領。鬼石村の村高は「寛文郷帳」で畑方383石余、漆年貢を納め、寛文11年(1671)には鬼石組村々として35桶2貫目を上納している。「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに394石余、「旧高旧領」395石余。・児玉 ・本庄への交通の要地とな。っていた。 寛文2年(1662)には既に穀類・塩・小間物・太物などのほかに綿・麻・屋根板・薪炭・紙・木材など特産物の市も立ち、貞享元年(1684〜88)頃には鬼石絹・阿久原絹の絹市も開かれていた。享保17年(1732)頃から江州商人の出店が多くなり、茶漬屋・旅籠屋・居酒屋なども栄え、宿場町・市場町として発展した。 幕末の改革組合村高帳では村高394石余、家数209。「郡村誌」では明治10年頃の家数249・人数717、牛8・馬24、渡船2、荷車14・人力車9。繭555石、生糸61貫目などを産していた。同「郡村誌」によると、249戸のうち商業が170戸とあるように半数以上が商業に従事し、生糸を中心とした奥多野の物資の集散地として発展していた。明治24年の家数442・人数2,901。 今回訪ねたのは、旧十石街道が西から入り直角に折れて北に向かう角辺りで、昔の云い方では鬼石町鬼石の仲町と呼ばれる辺りである。大きな伝統的な商家建物が連なる地域。土蔵造りの商家建物も見られ古い町並みを形成していた。見事な町並みが見られたが、古い町並みはこの場所のみで、大変小規模だったが、かってはこの様な町並みがもっと大規模に展開していたとは想像できる町並みであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
鬼石の町並 |
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